すしと映画が好き

食べログでも映画評論でもありません。ただの備忘録です。

自分を少しづつ肯定する

親や付き合った人に言われたことは自分のコアの部分まで届く。

その言葉は、容易に体のコアの部分まで届き、流れて凝り固まったものを壊す。


親は褒めるような言葉を言ってくれなかったし、

(私が褒められるのが苦手だとかを小学校の頃に言った事があるからなのだろうか。記憶が曖昧で思い出せない。)

自己肯定感とやら全くもって持っておらず

ここ二年くらいになって持っていた方が生きやすいことに気づいた。

心無い、愛のない、傷つく言葉を相手の気持ちなんて考えずに容易にいう人がいる。言われても何食わない態度で接していたら、歯止めがない人がいる。言われる隙がある自分を責めて反省してを繰り返す。

一方で言われてもその言葉をさらっと捨てて違うことを考えられる人がいる。相手のせいにして、攻撃を完全に遮断し言葉から自分を守れる人がいる。

私もそういうように、安直な言葉で立ち止まりたくないし目から頭、首が痛くなりたくない。考えすぎて、もっと別に時間を使った方がいいことに時間を使いたい。

もっと楽しくて毎日が明るい色で囲まれている日々を送りたい。せっかくこの世に生きていて、生き続けていて、大変なことも乗り越えているのだから。友人と楽しいことだけを共有して美味しいものを食べて、楽しい感情だけに囲まれて生きたいと思うようになったからだ。

親や周りから、持つことに繋がらないのであれば

自分が、自分という存在を肯定し、存在そのままを自分で受け入れて、欠点だとか短所だとかを「そのままでいい」「あるがままでいい」と受け入れようと思った。

自分の嫌な部分を書き出し、改善できるところ・改善というよりも受け入れるところを考えた。自分を少しづつでも好きになりたくて。自分のことを自分で愛さなければ、心底好きになれる人と付き合ったとしても、なんでこの人は私のことが好きなのか一緒にいてくれているのかと思い不安になったから。会えない時に、信頼関係ができていない時に勝手に不安になるから。思いに鈍感で、言葉にして相手に伝えることもせずに。

学びたくない人で学んだ。人生で一番に好きだと思える人に会い、幸運にも付き合う事ができたのに。

こんな自分が嫌になった。嫌いになった。変わりたいと思った。

自分のことを心底愛する事が、好きな人のそばに自信を持って堂々といられるからだ。とのこと、よくいう言葉だけど、本当にそうだといまになって気づいた。

友人から自信を持った方がいいと言われても、しっかりと絶対に直すとまで思えなかったが、好きな人に言われると心のコアな部分まで届きその言葉が流れるように、凝り固まった自分を壊した。自分を愛せるように、時間がかかることだと思うが少しづつでも好きになりたい。